昭和15年 |
関門港同業272社中、保有はしけ引船のトン数で、第3位の勢力を誇った。 |
昭和16年 |
国家総動員体制がしかれ、戦時統制会社「関門船舶荷役会社」に社船など供出、終戦まで会社は冬眠状態となる。 |
昭和22年 |
邑本義一「村本組」を再興、代表となる。 |
昭和24年 |
統制会社解除命令、供出船などの返還を機に、北九州運輸株式会社を邑本義一が設立し、代表取締役社長となる。 |
昭和36年 |
自動車整備部門を新設。
石油部を新設し石油製品の販売開始。 |
昭和38年 |
骨材部新設。門司区内の採石権を獲得し、北九州アサノ生コン(株)等の骨材一切の指定を受け、月産約3万トンの採石・納入骨材等の販売開始。 |
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昭和15年 |
門司港と下関港を合せ「関門港」誕生
お米の配給が通帳制になり、軍事色強まる |
昭和17年 |
関門海底鉄道トンネル開通、門司駅を門司港駅に改称
門司市に企救郡松ヶ江村編入 |
昭和24年 |
機雷掃海終了し、関門港安全宣言
門司みなと祭も本格的に復活 |
昭和38年 |
五市合併で北九州市発足、政令指定都市になる
北九州商工会議所発足 |
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